車座ゼミ<「家族」は、近代の産物である>
今、家族円満の方もいらっしゃると思います。それは、素晴らしいことです。
しかし、今の日本の「家族」の多くが崩壊しているのは、当たり前のことで、「家族」に傷ついていたとしても、自分や家族を責める必要はありません。
家族が崩壊していて、親に疎外されたり、逆に親子が深く癒着したり、夫婦間で愛憎が強まり、傷ついている方もいるからもしれません。
しかし、これは、そもそも、近代の産物の家族に問題があるのであって、自分や親や子供を責める必要はありません。
暴力をふるう親や夫がいたら、静かに去っていき、社会的な保護を受けましょう。
ただ、我々が今、帰属している近代社会の多くの制度が、近代の産物だからといって、近代以前の江戸時代に戻ることはできません。
私も 戸籍から逃れ、税金からも逃れ、国家からも逃れたいと思うのですが(笑)、国籍やパスポートという近代の産物は、今は、世界中に浸透していますから、簡単に、近代から逃れることはできないのです。
ただ、その近代の産物に、あなたがは、 傷ついていたとしても、多くの近代装置が、もともと無理があった、と理解すれば、少し、あなたの肩の荷が軽くなるかもしれません。
補足;
・昔から、子供に暴力をふるう親もいれば、立派だけれども子供に恵まれない親もいたわけです。身体障害者もいました。そのようなときは、部族長のような方(ここでは、社会的中間層といわせていただきます)が、いて暴力を受けている子供を、立派な親に授けたり、身体障害者にも、部族間で、食料を与えるなどの、セーフティーネットがあったのです。
・家父長的支配という言い方があり、家父長が、ある意味で<特権>的な立場にあったかもしれません。
が、 家父長が 富の分配をうまく行えている時代もあったのです。
・近代になって、政府は、正確な戸籍を作り、税金を取ったり、戦争のときには、徴兵制ではないとしても、国民を、総動員させることができる、今の家族を作り、近代社会を支える多くの装置を作ったのです。
・ 言葉と物 (フランスの哲学者ミッシェル フーコー 著)によれば、人間間の愛というのもヨーロッパでも早くて、1820年か1830年頃に、近代というシステムを円滑に進めるための装置として生まれた概念であるそうです。
結婚し一人の男性や女性を死ぬまで愛し続けるということは立派なことでしょう。しかし、離婚してしまったからといって、自分や、相方を責め続ける必要なないのです。
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